〜ランドスケープアーキテクツの誕生〜
ランドスケープは19世紀の後半のアメリカで生まれました。当時のアメリカのニューヨークでは、都市化が進み、人口が増大し、その都市環境の悪化の兆しが見え始めていました。そのためニューヨーク市では、セントラルパークの公開の競技設計を行うことを告示し、その競技設計で、当選した設計者その人が、ランドスケープアーキテクツの提唱者であり、第一号のランドスケープアーキテクツのフレデリック・ロウ・オルムステッド(Frederick Law Olmsted,1822〜1903)氏でした。
彼は公園設計に際してフリーカーブを多用し、自然の岩石を尊重し、歩車分離を試みました。彼の計画した公園は、以後のアメリカの都市公園や自然公園の基礎となり、また彼は都市や、環境、あるいは市民社会と環境づくり・地域性を尊重した環境づくりなどを提唱し、自ら新しい職務として造語した「ランドスケープアーキテクチュア(造園学)」及び「ランドスケープアーキテクツ(造園家)」を公的に使用しました。 |
〜ランドスケープデザインの発展〜
オルムステッドが提唱した「ランドスケープ」は、1910年代、カルフォルニア大学バークレー校の農学部で教育が開始されました。
また、1929年の経済不況では、雇用促進の観点から多くのランドスケープの専門家が公的機関に採用され、1930年代からランドスケープの専門家が公園の計画・設計・管理に緊密に関係するようになりその専門領域を拡大していきました。 |
〜モダン・ランドスケープの展開〜
1930年代において、トーマス・チャーチ(1902-1978)やガレット・エクボ(1910-)、ダンカイリー(1912-)たちによってランドスケープデザインの近代化活動が行われました。それは「デザインの草の根に戻ろうとする運動、つまりデザインの基礎を先例、偏見、既成概念におかないで、むしろ敷地やその周辺、そして依頼者の要望や希望におく」という主張です。
さらに彼らは新しい素材を用い、材料固有の特性を生かし、地域の気象や土地環境に適合し、かつ人々の物理的、心理学的な行動にかなった、美的で機能的な空間と景観の創出を試みました。
彼らの功績により、ランドスケープは空間デザインから環境デザインへと領域の拡大を見せ、現在でも世界中のランドスケープアーキテクツに多大な影響を与えています。 |
〜ランドスケープ思想の多様化〜
1960年代にはランドスケープアーキテクチュアの分野に環境デザインと住民参画が大きな流れとして発生し、同時に土地利用や都市問題、さらには環境心理や環境行動学にも関心が払われるようになりました。
また、公害問題が顕著化しはじめる1970年代からは、環境計画や環境問題などがランドスケープの中心的な課題となっていきます。
現在のランドスケープは、ランドスケープデザインとアートの融合の試みやエコロジカルな環境創造、住民参画の展開などが試みを見せています。 |
参考文献:アメリカンランドスケープの思想 都田徹・中瀬勲 共著 |